社長のひとりごと

by 川島英夫


10 高島美里さん
9 久保奈央子さん
8 田辺雅子さん
7 岩倉智子さん
6 谷内かおりさん
5 師走疾走
4 クッキングペーパーとスタバの紙ナプキン
3 阿利さんのこと
2 イニシャル物語
1 『メジャトレ』の由来


 10 高島美里さん        04/28/04

4月に入り球春ともいうべき季節到来。
半月ほど渡米していたことと、パソコンに歓迎しない"お客様"がたくさん訪問してくれていたことが 重なりまたまた間延びしましたが、今回は高島美里さんの巻。

高島さんは日本体育大学卒業後、呉竹学園に進んだ。
在学中に弊社OBで呉竹学園講師である金子忠雄氏(三番町接骨院院長)の推薦もあり入社。
大学時代からタッチラグビーの選手として活躍し、 現在ではタッチラグビー・女子日本代表トレーナーとして毎年海外遠征に帯同している。

「日体大」「タッチラグビー」というキーワードで連想されるように体育会系のイメージがぴったりな女性だが、 結構ナイーブな一面を持ちあわせていることを私は知っている。
まだまだ発展途上ではあるものの、彼女の良さはつねに前向きに努力すること。
決して弱音を吐かないことも賞賛に値する。
三木さんともども弊社にとってはひさびさに強力下位打線が組めそうだ(笑)。

余談だが、高島さんのお父さんにお会いする機会がありますます高島さんの将来に期待が持てると感じた。
彼女のお父さんは私が修業時代を過ごした新宿3丁目・末広亭の近くでソウル音楽好きが集まるBarを脱サラして経営している。
そこに阿利さんと飲みに行き、日野皓正氏に似た父上の人柄に接してそう感じたのだ。

技術指導をしている阿利さんが指摘するように彼女には大雑把な面が多々ある。
しかし、これから先もっと神経をすり減らす場面が訪れればおのずと軌道修正できるものと期待している。

今年の目玉は大澤省吾君と高島美里さんだと思っている。

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   9 久保奈央子さん(仮名)       03/21/04

ホームページ開設以来彼女の名前は1度たりとも登場したことはなかった。
その理由は語ると長くなるので割愛するが( 私自身もすべて知る立場になく、WEB担当者にはスタッフ紹介から省くよう依頼していた )とにかく在籍してくれている。
正確には在籍していたというべきなのだ。
3月20日(昨日)付で退社した。

彼女は『ゴーストハンド』と呼ばれていた。
まさしくゴースト(笑)。
長身でスタイルの良い女性でソフトタッチの手技と鍼には定評がある。
ウチには珍しいタイプの存在だった。
ふつう弊社には「スポーツ関連の仕事がしたい」という動機で入社してくるのが一般的なのだが、彼女はスポーツの仕事はすでに経験しており、これからは芸能界の人たちを対象にした仕事がしたいというのには驚かされた。

手技は前述通りソフトで語りも滑らかで、鍼に絶対の自信を持っている。
手技や語りと裏腹に気性の激しさも持ち合わせている。
入社したてのころは酒に飲まれることも何度かあった。
が、時間の経過とともに後悔しているのか、その恥じらいの表情がじつに可憐で滑稽だったことを覚えている。

仕事ぶりを評価すると、得意な投手相手だと驚異的な打率をマークするが苦手な相手だと三振の山を築くタイプだ。
しかし、こんな久保さんに手を焼きながらも私は期待している。
なぜだろう?
会社経営をしていると、平均的な仕事をする人が必要なのはもちろんだが、年に1度でも満塁ホームランを打ってくれるスタッフが在籍してほしいなと思っている。
そして彼女はそんな存在なのだ。
きっとチームスポーツのように複数の選手を相手にするより1人の相手を全身全霊傾注して治療するタイプなのだろう。
私にもそういう対象の方がいるが、終わると心身ともにグッタリする。

久保さんは4月から鍼の道を究めるべく再度勉強することにしたらしい。
そして弊社の契約スタッフとして仕事を選んで手伝ってくれることになった。
これからが私の采配の真価を問われることになる。
彼女にふさわしい仕事を依頼し好打率をマークしていただがないと、スリッパどころか折れたバットが飛んできかねない(笑)。
あえてここに彼女の存在を公表したのは、若いスタッフたちに彼女の繊細な仕事ぶりとツボに入った時のホームラン、相性の悪い相手だとまったく打てないという二面性を覚えてもらいたいと思ったからだ。
彼女にはこれからは弊社契約スタッフとしての帽子をかぶり、スタッフとのスタンスをわきまえてプロフェッショナルな立場を顕示してほしい。
場外ホームランを期待しています。
よろしくね、ボ・ちゃん!

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 8 田辺雅子さん             02/29/04

「マザーハンド」、「デェビルハンド」と続きいよいよ『ゴッドハンド』の登場です。

田辺さんも谷内さんや岩倉さんと同様にメディカルトレーナー専門学校を経て東洋鍼灸専門学校在学中に入社した。
かつて弊社に在籍していた木村さんという女性スタッフのクラスメイトで、彼女に連れられて来たのだった。
当の木村さんはその後寿退社した。

田辺さんには看護助手の仕事経験があり、それは現在の仕事に最大限反映されている。
そして彼女のオールマイティーさは高く評価されている。
アスリートであれアーティストであれ彼女を支持する人は多い。
『ゴッドハンド』『エース田辺』
人は彼女をそう呼ぶ。

さて、褒め言葉ばかりではヨイショコーナーになってしまうのであえてマイナス面に触れていこう。
田辺さんは会社でいうところの『利益率』、野球にたとえると『打率』が低いようだ。
仕事の代償は報酬。
派遣先から得る代価と本人に会社が支払う報酬を換算すると、彼女のようにいつまでも同じ仕事に固執されると利益率、打率が下がってしまう。

余談になるが、スタッフはおのおの自分自身の価値を金額に換算し冷静に評価できるだろうか?
今も昔もそれができない者がフリーになって苦労しているように見受けられる。
田辺さんは決して金銭的なことで文句を言う人ではない。
それだけに、こちらの意図をしっかりと理解してもらうことが重要になる。
派遣会社と称される弊社の人件費は年々上昇している。
契約先もそれにともなって上げてくれれば問題はないのだが、すえ置きせざるを得ないご時世、難しい問題だ。

また、田辺さんには女性陣のみならずリーダーとして全体のスケジュール統括の責務を任せているのだが、まだまだ自分中心のシフトになりがちで目の前の仕事(ハード面)ばかりを見ているように私の目には映る。
本人の思惑と私の彼女への期待を込めた要望には若干の隔たりがある。

しかし、有事の時の田辺さん、その存在は大きい。
『エース田辺』ここにありである。
黙っていたら1年 365日、あらゆる仕事で彼女のスケジュールは埋まってしまうだろう。
彼女の予約をとるのは大変難しい。
彼女がリビエラ・スポーツクラブのトレーナー・ルームへ入る時にだけ可能であるが、河野君の次に早く予約が埋まってしまう。
なにがそうさせるのか?
それはおそらくクライアントのかゆいところに手が届くからではないだろうか。
彼女の出す指示はキッパリ明確で処置も的確。
これは相手がだれでも実践できており、若いスタッフがもっとも見習うべき点である。

私は彼女を見るといつも思う。
彼女が男だったらきっとボクと同じタイプに違いない、と。
田辺さんにとっては褒め言葉にはならないかもしれないが!(笑)

彼女のなかではパートナーに力量不足を感じる部分が多々あるかもしれない。
仲間に仕事を委ねるのには勇気がいること。
しかしそれが自分自身の役割であることはわかっているはず。
仕事が大好きでいつも現場にいたいと願っている田辺さん。
東横線グループの一員としてこのごろ食事をする機会がないが、山口君もグループ入りしたことだし、ひさびさに宴会を企画してください。
よろしく!

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   7 岩倉智子さん            02/15/04

スタッフ個人にスポットを当てた2回目、少々間延びしましたが今回は岩倉智子さんです。

岩倉さんは前回紹介した谷内さんとはメディカルトレーナー専門学校の同級生で、谷内さんが在籍してから時々弊社に顔を出していた。
そのため私や古くから在籍しているスタッフにとっては馴染み深い人だった。
当時彼女はキネシオテープの(株)キネシオに在籍しており営業活動の一環で出没していたようだ。

ある時期から姿を見せなくなったのだが、6年前ぐらい前に再度出現した。
それまでの消息を尋ねたらさまざまな仕事をしながら貯金していたようで『渡米してATCを目指そうか鍼灸の資格を取得しようか考えている。決めるまで在籍させてほしい』ということだった。
私は彼女の器用さと頭脳明晰さは理解していたのでそれを了承した。
その後、東洋鍼灸専門学校に入学。
私の後輩となった。
岩倉さんはその外見は穏やかだが洞察力が鋭く患者の身になって治療してくれている。
ただし、他人よりも己の体調のほうが不安な部分があるので、それが治療に良い方向で反映されるよう期待したい。
彼女の手技はある患者さん曰く『悪魔の手』、そこから阿利さんにより『デェビルハンド』と名づけられた。
悪い意味ではないらしい。
女性陣はいろいろと特徴があって楽しい。
さまざまなネーミングの由来があるものだ

仕事に関しては技術以前に会社実務において能力を発揮してくれている。
彼女はパソコンによる書類作りには定評があり企画書、表計算に関しては完璧。
秘書、総務もこなす。
そんな彼女が4月からは弊社本院の看板娘(?)になるべく常駐してくれるらしい。
ありがたいことだ。
弊社スタッフは日替わりでさまざまなところへ出向くので『トレーナー派遣会社』などと称されているが、岩倉さんのようにいつ会社に行ってもいてくれる"内勤スタッフ"を私は待ち望んでいた。
スポーツ選手に限らず一般の方々の信頼を得るのは間違いない。
長年かけて自分の将来を模索していた岩倉さん、これが"天職"になることを祈っております。

彼女は今どき珍しく携帯電話を持たない人。
ライフスタイルのなかで煩わしさから逃れたいと思っている部分があるのかもしれないが、基本的に渋谷本院勤務なので支障はない。
どうかくれぐれも自身の体調を崩さずにがんばってください。
今度ぜひ鍼をお願いします!

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   6 谷内かおりさん             01/15/04

今回からスタッフ個人にスポットを当てて順不同で紹介したい。

谷内さんは弊社の女性陣の中ではもっとも長期間在籍している。

愛媛県の高校からメディカルトレーナー専門学校(*)を経て入社、その後鍼灸専門学校へ再入学した。
谷内さんの外見は穏やかでいつも笑顔がトレードマーク。
だがいつも他人の相談相手ばかりしていて時々自分でもストレスを溜め込んでしまうようである。

仕事に関してはマッサージそのものはオーソドックスで個人的には一番好きなタイプの手技である。
技術顧問である阿利さん曰く『マザーハンド』。
癒し系を求めるなら彼女がお薦めである。
彼女の性格かもしれないが「気遣い屋」で選手や患者のわがままを受け入れてしまうような部分があるのではないかとも推測する。
時と場合にもよるがビシッと言い聞かせるような態度をとっても良いのではないのだろうか?
しかし女性シンガーの信頼は厚くU.HさんやO.Tさん、J.M、今月はAさんのコンサートツアーの仕事が入っている。

彼女はだれかれなく接するし気に入られたらその信頼関係の絆が強いという点がすばらしいのだが、あえて苦言を呈するならば穏便な治療に終始するために個性が乏しくアピール度が低い。
今年は攻撃的?な面を見せてほしいと阿利さん共々願っている。

まだまだその実力を発揮していない。
そろそろ本領を発揮してもらいたいものだ。

谷内さん、よろしくね!

(*)メディカルトレーナー専門学校
トレーナーの専門学校としては草分け的な存在。
弊社には河野智和君、田辺雅子さん、岩倉智子さん、松井 祥子さんも在籍していた。

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   5 師走疾走                12/17/03

先月は笠原君の結婚式でハワイへ行き月末には著名な作家の講演会で福岡へ行ってきた。
12月に入ったとたん、まさしく師走を疾走している。
なぜかこの季節になると車は渋滞するし道路は工事中。
宅急便が道路に違反駐車している。
我々はこの1年の締めにさまざまなことを企画する人種なのかもしれない。
お歳暮、年賀状、クリスマス、忘年会、大掃除これに誕生日がからむと目が廻る。
このご時勢からなのか、ゴルフコンペが入らないのが唯一幸いしている。

メジャトレでは野球関係はオフ期だがそれ以外にはさまざまなイベントがある。
アーティストはコンサートツアーやディナーショウ、テレビ関係では年末年始の特番の収録。

私は今月に入ってから1日たりとも休日がない。
来季への契約交渉、進路相談、さまざまなパーティや食事会が入っている。
そういえば前回書いた新宿小守ビルの新築落成パーティに出席し、多くの先輩や後輩たちに会うことができた。
みんな懐かしさと感じるとともに己のルーツを省みたことと思う。

今年は新年から渡米しサンフランシスコで提携先のテコ入れに尽力したつもりだったが、方向性の違いというか技術者雇用を使い捨て感覚でしか捉えていない経営者に失望。
契約先のトータルワークアウトへ渋谷店以外に三田店へも人材派遣することになり台所は火の車状態。
仕事はたくさんあれど人がいない!

LAとNYへ各1名派遣していたので今年は私もスタッフも目が点になるくらい忙しい1年だった。
ここまで読むと『メジャトレもうかってるなぁ!』と思われるに違いない(笑)。
しかし内情は『燃費の悪い船』なのである。
私は船長としてこの船は航海を中止して出港地に戻すべきかそのまま航海させるべきか否かを決断すべく考え、その結果燃料を積んだ高速艇を出航させて補給し、燃費を悪くしている部品を交換することにした。

来年はきっと余裕をもって航海できることと思う。
スタッフの養成と派遣という仕事が慈善事業にならぬよう、会社とスタッフそして顧客が信頼のトライアングルになるよう走り続けることが使命であると受け止めている。
夢は大きく、上海、香港、シンガポールあたりを就航できる船と太平洋横断できる船を就航したいものだ。

次回からは弊社スタッフを私の見地で偏見も交えながら紹介したいと思う。

今日17日は来季メジャー入りするリトル松井選手がらみの正月特番が延期になり、朝から埃まみれの車を洗車、このひとりごとでパソコンへ向かい、午後には2年間使った携帯電話の機種変更でDoCoMoショップへ行き使用説明書を老眼メガネをかけて読んでいた。
なにかに集中しないと時間がたつのが遅い。
いつもあっという間に暗くなっていたはずなのに。
そう、今日は久々に時間を持て余していたのだ。

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   4 クッキングペーパーとスタバの紙ナプキン   11/20/03

なんとも風変わりなタイトルですが若いスタッフたちへのメッセージも込めて今回のテーマにしたいと思います。
これは私にとって重要な意味を持っているのです。

時は昭和50年(1975年)3月、私が新宿の小守スポーツマッサージに弟子入りした時にさかのぼります。
私は大学4年だった前年の春に右肘を故障して野球選手に見切りをつけていた。
最後の秋のシーズンが終ってからは西武新宿線・都立家政にアパートを借りて残り少ない大学生活を送っていたのだが、当時も今も小守の社長である井上良太氏からの『住み込むことで仕事を早く覚えることができる』という一言で新宿3丁目の小守ビル4階にお世話になることになった。
そこは6畳ぐらいの狭いスペースに2段ベッド、下が先輩の田中博明氏で私は上段。
ゴキブリと友達になった。(笑)
朝は1階に降りて階段入り口シャッターの鍵を開けてから2階3階にある治療室の掃除をする。
春や秋は気持ちが良いのでビルが面している靖国通りに水を撒いたり。。。。

ここでの弟子時代最大のつらい思い出が今回のタイトルに重なる。
患者さんが使うフェイスタオル(というか枕カバーも兼用なのだが)に俗にいう"白いおしぼりタオル"を用いていたのだが、これが50枚ほどあり洗濯が大変だった!
当時は洗濯機が全自動ではないし、しかも屋上でお湯が出るはずもなく冬の洗濯。
もちろん乾燥機はないので長く伸ばしたヒモにキレイに半分に折り畳んで干すのだが、乾かないと大変。
あげくの果てには隣接するビルのサウナの煙突から風向きによっては真っ黒な煤(すす)が飛んで来たりする。
そのサウナはたしか『セコイア』というセコイ名前だったような気がする。
乾かしているタオルに煤が付着するとこれまたドえらいことになる。
手で払おうものなら最悪。
口を膨らませフゥーッ!!とやらないといけない(笑)。
思い起こせば女性の化粧や口紅もいい迷惑だった。

どこでも『郷には入らば郷に従え』だとは思うのだが、私が独立した暁にはこのタオルだけはなんとかしようと思った。
そこでたまたま知ったのが「リードクッキングペーパー」だった。
独立直前に友人に会うため福岡へ行った折にホテルでマッサージを受け、その時に勧められたのだ。
ちょうど顔が入るスペースにミシン目があって都合が良いし、使い捨てというのが衛生的である。
当時の私はお金がかかってもこれで余分な雑用が減らせると思った。
このクッキングペーパーは本来の用途は違うのだが「ライオン」から箱入りで発売されている。
何年か前に「ライオン」のお客様サービスに問い合わせて「治療ベッドに合うサイズは作れないか?」とかいろいろとリクエストしてみたが「最低ロットや消費量を考えると採算が合わない?」とのことで軽くあしらわれたのを覚えている。

私は若いスタッフ同士がマッサージの練習であのクッキングペーパーを使っているのを見ると不機嫌になる。
それはそうでしょう、たかが1枚といえどもこれは大切な来客用。
ケチではない。
苦労した思い出が込められたこだわりの1枚なのである。
このことはスタッフ全員が知っているわけではない。

昔ウチに在籍し現在ロスにいる西尾嘉洋君がおもしろいことを教えてくれた。
「こちらではスターバックスの紙ナプキンがフェイスタオルに最高ですよ」
あの4ツ折りの紙を開いて裏返しにするとちょうど良いらしい。
私の苦い思い出を知っている彼もいろいろと考えたものである。
たしかにサイズは良いのだが、タダでもらう分いかにもアメリカ的な感じがする。
いつしか私もアメリカで治療する時はスタバの紙ナプキンで代用するようになった。

さて、私の弟子時代に話を戻そう。
大学を出てしばらくは同期の友人たちに会うに会えない日々が続いた。
しかしあの修業時代が今日の原点になっていることは言うまでもない。
昼は仕事で夜は専門学校通い。
深夜は200m先にある新宿2丁目が貴重な私生活だった、というと妖しい趣味に思われそうだが(笑)なじみの店には今でもたまに出没している。
当時その界隈で出会った様々な業界人たちが後々多くの仕事を紹介してくれた。
そう、私は当時から遊びながら営業していたのかもしれない。
仕事も遊びも全力だったような気がする。
あのビルには長く住み込んだわけではなかったが(2年弱)我ながら強烈なインパクトのある弟子だったと思う。

そういえば先日お世話になったその小守から往復ハガキが届いた。
一言イヤミを言うなら私の名前は「川島英雄」ではなく「英夫」ですが(笑)。
老朽化していたあの小守のビルがついに新築されたとのしらせだった。
ということは、あの4階の部屋も洗濯した屋上もなくなったのだ。
そう思うと、妙に懐かしく当時のことや先輩諸氏の顔が浮かんでくる。
ビルの落成披露パーティが12月初旬に開かれるようだが、そこで懐かしい面々にお会いするのを楽しみにしている。

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   3 阿利さんのこと       10/29/03

私にとってはアリさんと呼ぶ人が二人いる。
アリちゃんといえばサンフランシスコ在住で20年近く公私にわたり私やスタッフがお世話になっている有本公悟さんのこと。
アリさんといえば今回のテーマである阿利治人さんのこと。
この2人がサンフランシスコでドッキングした時は呼び名に困った(笑)。

阿利さんは1953年3月生まれなので私と同じ学年なのだが、まったくタイプは異なる。
私から見れば職人気質の固まりのような人。
徳島県出身で神戸を経て上京、私同様に小守の流れを汲む上野敬介先生の門下となりスポーツマッサージを学んだ。
その後、ロッテや日本ハム球団で20年以上球団トレーナーとして働いた。
その後開業したが事情があって2年で廃業。
『さすらいのトレーナー?』をしているころに私と運命の出会いがあった、というとオーバーだが池尻大橋の大江戸東山温泉に時々ヘルプで出没されているという噂をウチの笠原君より聞いていたのでいつか自分で阿利さんのマッサージを受けてみたいと思っていた。
3回目の訪問でやっと"本物"に会えた。
あの時の衝撃は今でも覚えている。
たった20分間受けただけだったがすぐに『これだ!』と閃いた。
なんとしても阿利さんにウチのスタッフたちの技術指導をしてもらいたかったのである。

もちろんその時は私の素性も名乗らず帰ったのだが、だれかを使者にしてこの想いを伝え、お願いすべきか考えた。
阿利さんの経歴をふまえて阿利さんと面識がある元プロ野球選手が思い浮かび事情を説明しお願いした。
初めて会った阿利さんは人見知りが激しくなかなか喋らない。
そして後日知ったことだがどうやら私のことを『日本プロ野球トレーナー協会(JPBATS)にケンカを売ったやつ』という負のイメージで見ていたようである。
自分の中では当時はそんなつもりでJBATSの活動をしていたわけではなくJPBATSを頂点としたピラミッドの底辺を支えるべくメッセージを送り続けていたつもりだったが(笑)。
阿利さんとその後何度か食事やお酒を飲む機会を経てやっと昨年末から週に4日渋谷に来てもらえることになった。

阿利さんは初対面では一見近寄りがたい雰囲気があるが、慣れると実に優しい顔を向けてくれる。
約1年が経過してスタッフ各々を私と違う視点で観察、洞察してくれていることに私は感謝しているのだが、私以上にスタッフがその恩恵を受けていることに安堵している。
みんなが「阿利さんのおかげです!」と感謝する姿を見て『だれが呼んで来たと思っているんだ!』と時々ジェラシーを感じることがある。

我々はスタッフを「メジャー」や「マイナー」で呼ぶが、より細かく呼ぶならば4年、3年、2年、1年生の4段階に分かれている。
阿利さん曰く「私が1年生に教えている時に用事があるからと言って3年生、4年生といえども邪魔をするな」要は真剣に指導しているのだから「オレの許可なく話しかけるな!」ということだと思う。
理に叶わぬことには態度で示し、スタッフの甘えやぬるま湯には毅然とした指針を私に助言する。
長いことお山の大将のごとく君臨して来た私にとっては最高の技術顧問を迎えることができた。
今年は2度渡米していただき現地駐在スタッフのひとりである鈴木淳士君の自信を甦らせた。
9月にはサンフランシスコにて私と2人で朝までナパワインを飲みさまざまな意見を交した。
『JPBATSにケンカを仕掛けたやつ』がキーワードだったような気がする。
大の大人が2人、不覚の涙、、、。もあった(笑)
「人間は実際に会って真意を聴かないと分からないものだ」ということを私も阿利さんも感じたように思う。
その中で『5年前に会いたかったですね。5年後に会いたかったやつ』というくだりで共通の登場人物がいたのはおかしかった。

時に歴史上の人物や書物を引用しながら『人を動かす』ことを諭してくれる阿利さん。
このHP上のARI COLLECTIONを見てわかる通りユニークなコレクターである。
プロ野球界に長年功績のあったトレーナーの受け皿の1つとして私は阿利さんの職人としての『キャリアと技術』を高く売ることが私の使命であると考えている。
すばらしい指導者の存在によって優秀なトレーナーを育てる環境が整ったと自負している。
これからもスタッフ共々どうぞよろしく。

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   2 イニシャル物語(KからBS2まで)    10/14/03

またまた身内だけの楽屋ネタで恐縮だがおつきあいください。

メジャトレには20名前後からなるスタッフのスケジュールを一覧にした【MONTHLY SCHEDULE】があり、これを作成するのにスタッフは毎月一苦労も二苦労もしている。
いつのころからかこの【MONTHLY SCHEDULE】のスタッフ名の下にイニシャルがつくようになった。
川島「K」、笠原「K2」、河野「K5」、谷内「T」、田辺「T2」、前田「M3」、といったように。
これはそうするように私が指示したとわけではなく、いつの間にか生まれて各々のメジャトレにおける永久?略称になっていった。
そこで、ここにメジャトレOBの存在を紹介するとともに、この略称がいつごろから始まったかを知る判断材料を提供したいと思う。

創業当時私川島のもとには後に岡山で開業する加納賢一君という人間がいた。
彼は「K2」にあたるのだが、当時この略称はまだ存在していなかった。
次に、後に中日ドラゴンズを経てアメリカへ渡る西尾嘉洋君が在籍した。
本来なら彼が「N」のはずだがやはりまだ略称はなかったようで現状では中島好亜希君が「N」になっている。
ところが、そのまた少し後に入ってきた常川達三君(阪神タイガース・トレーナー)や早川直樹君(サッカー日本代表・トレーナー)には「T」や「H」がつけられている。
こういったことから考えると10年ほど前からこの略称が定着したようである。
弊社25年の歴史のなかでは比較的新しい時期にスタートした感がないでもない。

私の「K」を筆頭にメジャトレにおける「K」はまさしく「核」となるべく存在である。
「K2」の笠原竜一君、「K5」の河野智和君、「K6」の片場将明君。
「K3」はOBの金子忠雄君で、現在埼玉の川越で『三番町接骨院』を開業している。
「K4」は同じくOBで日本体育大学スポーツ局、アテネ五輪野球チーフトレーナーの河野徳良君。
そして、番外でなぜか「K0」を名乗る『クロスフィンガー代表』の狩野和利君。
そうそうたる顔ぶれである。

不思議と少ないのが「A」「I」「U」などの母音スタッフだ。
「A」はOBの安斎和仁君に当たる。
「I」は岩倉智子さんのみ。
「U」はOBで功労者の梅ちゃんこと梅崎泰生君のみ。
「O」は大澤省吾君のみ。
「E」にいたってはひとりも在籍した経緯は見あたらない。
日本人で圧倒的に多い鈴木や高橋などの名字はウチにも在籍している。

さて、この永久?略称が与えられず、【MONTHLY SCHEDULE】や予約ノートさらにはホームページにすら登場しない謎の女性2名についてここで触れておこう。
その名は鈴木加代子さんと坂田由紀子さん。
鈴木さんは私が新宿の弟子時代に某大手番組企画会社で経理の主をしていた方である。
彼女には公私にわたりお世話になり、いつしか弊社の経理補助をしてくれるようになった。
坂田さんはメジャトレ創業時からの患者さんの知人で過去に何度かお会いしていた。
このたびの弊社内接骨院開業にともない、電話応対、受付、事務処理等の専門スタッフに最適な方だということで来ていただいた。
このふたりに略称がないのは不憫なので、私が直々にイニシャルを進呈することにした。
鈴木さんは「BS1」、坂田さんは「BS2」。
なぜ「BS」のBが付いたのか?
それはビジネス部門担当であるし、もう一説には私よりもオネーサンだから!?(笑)

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   1 『メジャトレ』の由来       09/17/03

『メジャー・トレーナーズ』が開業したのは1979年春。
正式名称は『川島治療院』だったのだが、前年にメジャー・リーグの野球とトレーナー・ルームをこの目で見て『メジャー』というコトバをどうしても使いたかったので、俗称として『メジャー・トレーナーズ』を用いたわけである。
しばらくして、私はこの名称をひとり歩きさせる、認知させるためには法人格として登記しなければならないと考え、1983年3月に『株式会社メジャー・トレーナーズ』をスタートさせる。
資本金は200万円。
当時はここまでスタッフが増えるとは思いもしなかった。
独立のきっかけは「好きな仕事を選んでやりたかった」、単純にそれだけ。
私は運が人一倍強いと昔から自負しているし、いい時も悪い時も神様が試練を与えてくれていると流せる性格も幸いしたのだろう。
もう会社をたたんでいなかへ帰るしかないと真剣に考えるようなピンチが何度も訪れたが、どうにか今日までやってこれた。

20代半ばでの独立。
無謀でもあったが、とにかく朝から晩までよく働いた(最近の若いスタッフたちには想像もつかないと思うが)。
幸いにも仕事の依頼はたくさん舞い込んだ。
幸運だった。
スポーツ、芸能、各種イベント。。。
いつしか弊社のことを人は『メジャー』とか『メジャトレ』とか呼ぶようになった。
ここ数年は『メジャトレ』のほうが一般的になり、イベントの台本やFAXの宛先は『メジャトレ』御中、となっている。

さて、『メジャトレ』が初めて年間契約したスポーツクラブは瀬田の『スポーツコネンクション』であった(ここには10年間ほどお世話になった)。
そこはいつしか『スポコネ』と呼ばれるようになった。
銀行では『日銀』だし、人名でも木村拓哉さんは『キムタク』である。
人々は親しみを込めてそのように呼ぶのだろうが、こういった通称、俗称というものに私はなんとなく不思議な感じを覚える。
『メジャトレ』にもなかなかなじめなかった。
ところが、そんな私もついに先日始めた接骨院にまじめに『メジャトレ接骨院』という名前をつけてしまった。

弊社のスタッフたちは大リーグのようにそのキャリアによって『メジャー』『マイナー』と肩書きをつけられている。
これを今度はどんな呼称にしていこうか、現在思案中である。

くだらない身内話をしてきてしまったが、『メジャトレ』OBや若いスタッフ諸君に懐かしくかつ新鮮な話題を提供できたらと思う。

このシリーズは数回続きます。

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